私は空を見ながらふと目を閉じた。風が耳から入り自分の体内の中を駆け回る。人に聞きたいことを想像していくことが幸せを感じる瞬間であった。目の前にあることから背を背けて逃げてきた自分は何をするのかを考えている時間が心休まる時間なのである。友達とは日々誘われて会っているが自分一人の時間がとても大事だと感じる。目を閉じているので眠気を感じるが寝ているようで寝ていない瞬間は大事にしたいと思う。
最近、悩みが私にはある。それは、みんなに相談するまでないことではないのかもしれないが、自分は嫌いという感情を無関心に変換していってしまうことである。興味があるもの関わらず、無意識のうちに少しでも嫌いと思った場合にはそのことを遠ざけてしまう可能性があるのである。私たちの日常においては自分が見た体験や聞いた噂話が自己形成の判断材料だが、偏りがあるようで相手のすべて理解するのは無理等しい時代の中で生きている。若者中心にデジタルを活用するものが数多くいる。しかし、何を見据えて何を考えているのかを普段背の生活の中から予測することは極めて困難である。スマホの中身はプライバシーだという主張をする人は大多数になるだろう。また、大画面のスクリーンよりも手軽に見れる携帯で動画を見ることが良いという人」も多いだろう。いつしか、自分の身近な人でさえもこんなにも遠い存在になってしまったのだろうか。私たちはいつからこんなにも孤独でみじめになったのだろう。そんなことで日々について深く考える。それは今の時代の定めなのだから、必要じゃなくても、偏って考えでもいつしか自分と向き合えないときのために先をいく。
君といつの日か向き合えるように。
コメント